元記事 http://www.wizards.com/magic/magazine/article.aspx?x=mtg/daily/feature/148
by Aaron Forsythe
やっつけだが、公式待ってられない人も多いと思うので。
前半は最新セット雑談スレに投稿したのと同じ内容。



できることなら、私のマジックディレクターとしてのキャリアにおいて、スタンダードでの禁止カードを出すようなことはしたくはなかった。残念ながら、それは叶うことはなかった。今回禁止された2枚のカードは、私と、職場の仲間たちが何カ月もの間取り組んできた課題であったが(ジェイスについてのTom LaPilleの記事、2か月前の時点での問題点を見ることができる)、ここ最近のトーナメントの結果を見るに、このような力の行使をせざるを得なかった。

≪何が禁止されたの?≫
大ジェイスと石鍛冶はどちらも7月1日をもってスタンダード環境で禁止される。例外的に、石鍛冶イベントデッキは75枚そのままなら使える。
MOでは6月29日のメンテ開けをもって禁止される。MOでは石鍛冶イベントデッキは発売されないのでこの例外は適用されない。

≪なんでイベントデッキは例外なの?≫
2005年にスタンダードにおいて禁止カードを出して以来、MtGはプレイヤー人口においても製品の売り上げにおいても大きな増加をみてきた。イベントデッキは我々の新しい試みで、新規プレイヤーに(特にスタンダードへの)導入を目的として作られた。そのため、我々はいわゆる強力なカード、例えば先達や墨蛾、そしてそう、石鍛冶なんかもセットに入れてきた。イベントデッキに石鍛冶が2枚入ってるという事実は、石鍛冶を禁止する上で大きな懸念材料となった。既に店舗はこの製品を入荷し、新規プレイヤー導入のために売り出してしまったのだ。もしこのデッキの一番のカードが禁止されたら、製品は売りづらくなってしまう。

エレガントな解決策とはとても言えないものの、上記の例外の適用によって、問題は一応の解決を見る。禁止すべきだと思われるカードを禁止しつつ、FNMのためにイベントデッキを買ったプレイヤーはそれをそのまま使うことができるのだ。ただ、買ったプレイヤーがイベントデッキをトーナメントのために改良していこうと思ったら、まず石鍛冶を抜くことから始めなければならないが。

≪2枚のカードはなぜ禁止されたの?≫
スタンダード環境は数カ月もの間、停滞し、そして不健全であり続けた。勝っているデッキリストの中に大ジェイスは驚くべき割合で登場し続け、また石鍛冶もほとんど同じくらい現れ続けた。例えば最近では、GPシンガポールの2日目に残ったデッキの88%はジェイスを含んでいて、また70%は石鍛冶を含んでいた。PTQやSCGオープンといった大きな大会での結果を見ても同様であった。

私たちは、特定のカードがここまで環境を支配したのを、これまで見たことがない。親和(これ以前にスタンダードにおいて禁止カードを出すことになった最後の例)においてさえ、環境はここまでの一極化を見せはしなかった。更には、2枚のカードがレガシーすらも含む多くのフォーマットで活躍し(ジェイスに至ってはヴィンテージさえ)ていることを鑑みると、これらのカードはただ単にあまりに強すぎるという意見に対して、反論することは難しくなってきた。

「何も禁止する必要はない、なぜなら今のスタンダードは楽しいし、また勝つためにはきちんとした技術が要求されるからだ」といった議論を、インターネット上で沢山見てきた。この意見は確かに正しい――GPシンガポールにおけるTop16には有名なプレイヤーが多かったし、SCGにおいても毎週似たような名前が上位に連なっている。競技における側面として、たとえあなたがジェイスや石鍛冶1枚に負けたとしても、それでもやはり、マジックのゲームをプレイしてるようには感じるだろう。有能なサーチカードと、ジェイスによってもたらされるアドヴァンテージの雪崩にやがては負けることになっても、あなたにはクリーチャー
をキャストする暇もあれば、攻撃する自由もブロックする機会も与えられる。かつて禁止カードを制定させるに至ったデッキ、たとえばトレイリアのアカデミーからの天才のひらめきや、電結の荒廃者&大霊堂の信奉者&頭蓋囲いによる2ターンキル、などに比べて、ずっとゲームをしてるとは思える。これらのケースはゲームにおける運の要素が余りに強すぎたし、禁止すべきだというのは明白だった。

今回のケースにおいては以前の例ほどわかりやすくはなかった。そこで我々は、プレイヤーがたった一つの、ただし技術は要する、デッキの支配に耐えられるのかどうかを見たかった。我々の究極のゴールはプレイヤーに楽しんでもらうことであり、そして多くのプレイヤーが実際に楽しんでいるならば、勝っているデッキリストを見て機械的に禁止を判断する必要はないのだ。

結果として不平不満は漏れ始めた。大きくはPTQにおいて、はたまた先日のゲームデイの結果を受けて、そして最も悪いことに、FNMにおいても。プレイヤーの多くがゲームの現状を快く思っていないならば、我々はそれを変えねばならない。

競技に重きを置くプレイヤーの中には、ただただ勝ちを目指し、特定のカードやデッキに対する傾倒というものがなく、己の技術と能力の研鑽に心血を注ぐタイプも多くいる。私たちの経営理念にもそれを推奨している部分はもちろんあるし、そういったプレイヤーたちには申し訳なく思う。ただ、特定のカードやデッキ自体に愛着を見出し、自らの創造性をゲームにおいて発揮したいと考えてるプレイヤーもたくさんいて、そしてそちらの方がずっと数が多いのだ。彼らは自分にあったデッキを使いたいと考え、マジックにおいてそのような楽しみ方をしたいと考えている。ここ数カ月のスタンダードはそういった機会を奪ってきたのは事実で、そしてそれは是正されなければならない。

我々は、どんなフォーマットにおいても軽々しく禁止を制定することはないし、とりわけスタンダードにおいてはそれを嫌う。禁止するという行為が我々自身のミスを認めることに他ならないばかりでなく、製品の消費者に対する正当性を少なからず奪うことになる。プレイヤーは多くの時間と金銭をかけてトーナメントデッキのためのカードを手に入れたのに、それを奪われることになるのだ。幸運なことに、今回のケースにおいては、どちらのカードも他のフォーマットにおいて十分有用であるという点で、僅かながらもダメージを軽減させてはいる。

つい最近これらのカードを手に入れた人々には大変申し訳ないものの、コレラのカードはスタンダード環境において十分活躍する機会を与えられた。これらはいずれにせよこの秋にはローテーション落ちするはずであったし、これから多くのプレイヤーによって、ここ数カ月の間スタンダードが陥っていた環境よりずっと、よりよいゲームが形作られていくであろう。

≪この2枚はどういう過程で開発されたの?≫

石鍛冶や大ジェイスと言ったカードが我々の厳格なテストをすり抜けることは非常に稀で、それは(強いカードを作ろうという)野望や、少々の無謀さ、環境が実際にどうなるかなんて正確にはわからないという本質的な妥協なんかが相まって起こる。
私の前任者であるRandy Buehlerは、2003年、カードを禁止するというのはWotCがただ成すべき仕事をしているだけだという悪魔の囁きに抵抗する趣旨で、“Banning, Good or Bad?”(http://www.wizards.com/magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/daily/rb59)という記事を書いている。

我々は完璧なテストプレイをすることで、MtGを常に禁止カードの危険から遠ざけることができる。(中略;原文ママ)MtGにおいては強力なカードがいくつか存在してる方がゲームは楽しいから、禁止が怖いという理由で弱いカードばかりを作り続けるのは間違いである。加えて、MtGは、R&Dが全く新しい効果や能力を考えたときなんかがとっても楽しいゲームである。そういった新しいことをするとき、我々は必ずしもその強力さや、あるいは適正なマナコストに関して理解できるわけではない。そして、メカニズムが斬新であればあるほど、我々はそれをもっともよく生かすためのバランス作りに苦心するし、マナコストを間違えることも多い。(中略;原文ママ)いずれにせよ、新たなメカニズムの発明は非常に良いことだと誰もが頷くだろうし、我々は世界を広げていく努力を怠るべきではない。まあ、実際そうやってMtGの世界を広げる努力を続けていると、時には我々は間違いを犯すし、そういった場合には禁止が已むをえないこともあるのだ。

彼は最終的には禁止に反対の立場に立ち、良きゲームを作るという目的を果たすための方法は禁止という結果でなく、開発において常に苦心し、適正なカードを作り続けることであるべきなのだと言っている。これは私の同意するところである。

MtGの55番目のセットは、それまでの54のいずれもが見なかったような問題と直面する。同様に、56番目は55番目以上の。プレイヤーは見たこともないカードを求めるし、それまでになかったような環境を求める。もし我々がMtGの歴史を背負っておらず、全くの真空状態からゲームを作るなら、今より俄然うまく成し遂げることができるだろう。いやいや、20年の経験は間違いなくデザイン上の武器となるはずだと、あなたは思うかもしれない。もちろんそれは多くの点で正しい。だが、レガシーやコマンダーといった非常に多くのカードを巻き込んだフォーマットのプレイ人口の増加を受けて、プレイヤーの無言の要求――“10000枚のカードを見てきたけど、次はもっと面白い物が出てくるんだよな?”――は、我々に重いプレッシャーとしてのしかかる。

そして、WWKはその56番目のセットなのだ。56! 私はこの大きな数字を言い訳として使いたいのではない。ただただ、今我々が立っている舞台を明らかにする意図で持ち出した。

さて、まずジェイスについて話そう。彼がこのようなデザインで世に出ることになった裏には、非常に多くの要因が存在した。第一に、再びRandyの言葉を借りるなら、“そして、メカニズムが斬新であればあるほど、我々はそれをもっともよく生かすためのバランス作りに苦心するし、マナコストを間違えることも多い”。PWについては、未だに(訳注:ローウィンから数えて現在4ブロック目)この言葉は本当によく当てはまる。ジェイスは我々のデザインしたたった14番目のPWだし、4つの能力を持った初めてのPWで、セットの顔となるPWという意味では2番目だった(訳注:1番目はニコルかな?)。PWは他のどんなカードよりもデザインが難しい。PWの制作過程にはこのゲームの歴史上もっとも多くの選択肢があるし、応えるべき期待も大きい。そのために、不釣り合いとも思える多くの時間を費やしてきた。WWKの開発段階においては、ZENのPWは3人とも弱すぎたんだと薄々感づいてはいたし、だからここで一発、大きな当たりをかましてやりたかったのだ。

ジェイスの生まれ落ちた環境は、いくつかの点で問題を抱えた、混乱したものだった。LRWブロックのフェアリーに始まって、スタンダードはちょっとばかしカードパワーのインフレが続いていた。ALAブロックではフェアリーに対抗するために続唱のようなギミックを作る必要があったし、そしてZENではまたそのALAブロックに対抗するためのカードが必要とされた。一方で、青という色はフェアリーと青命令の存在に対する反動として、ALAブロック、M10、ZENとカードパワーの低下を見せた。青はスタンダードにバランスを取り戻すために弱体化され、そしてジェイスはその弱体化した青を引っ張っていくカードというポジションに着くはずだった。

もちろん、我々はジェイスの強さを完全には認識していなかった。彼の+2能力は開発のかなり後期になってmill2から消術1に変更され、そしてそのため我々には十分にテストする時間がなかった。結果、その能力がいとも容易くゲームに蓋をしてしまうことに気付けなかった。

我々はカードパワーのインフレをSoMで止めようと考え、そのレベルでこれからも維持していこうと計画した。強力なALAブロックが落ちて、抑え気味のSoMが参入することで、間に立つZENブロックが環境を支配することになる。しかしそれは、必要なことだったのだ。いずれにせよ、レガシーでもヴィンテでも使われるようなジェイスなんてあまりに強すぎて、後から出るカードのカードパワーで対抗しようだなんてとても健全な方法ではなかった。ただ彼が最強であることを認めて、未来のための環境整備を進めるしかなかったのだ。

我々はMBSでいくつかのアンチジェイスカード、即ちファイレクシアの破棄者や赤英雄、スラーンといった面々を送り出したが、メタゲームの結果として、これらは鷹と剣によって容易に乗り越えられた。NPHでも蔑みや呪詛の寄生虫が加わったが、これらはカードパワーが足りないし、受けも狭すぎた。

今回の件から得られた教訓として、PWに対しては常にまともな回答、例えば忘却の輪や真髄の針といったカード、が用意されているべきだということが挙げられる。これらのカードはALAのローテ落ちとともに姿を消し、そして代役は力不足に終わった。

石鍛冶に関しては少々事情が異なる。ZENにおいて装備品は大きなテーマではなく、コークリーチャー特有のものであった。そしてそれは次のミラディンブロックの登場によって大きな役割を果たすはずだと考え、実際にそうさせるためのカードを用意したのだ。石鍛冶には見るからに、修繕が犯したのと同様の2つの過ち、即ちサーチ能力と、マナコストを無視する能力が備わっていた。これらは組み合わさることで更に危険なものとなる。繰り返しになるが、我々はプレイヤーをExcitingにさせるようなカードが作りたいのであり、そしてExcitingとDangerousは常に紙一重の関係にあるのだ。ルールを破壊しつつも、“壊れ”とは言われず“強い”にとどまるようなカードを作る野望は常にあり、石鍛冶の目指したものもそこだったのだ。装備品はカードプールの中で非常に狭い1領域でしかなかったし、1/2という貧弱なパラメータは(装備品を場に出すことを防ぐための)除去を簡単に許すものであった。

SoMブロックが一緒になると、生体武器というメカニズムはは常に石鍛冶と相まって問題になるだろう、という認識はすぐに生じた。そのため我々は、強力でありつつも、3ターン目に出てきてもゲームを壊さないような生体武器を作るのに全力を尽くした。骨溜めや、鞭打ち悶えといったカードは高いポテンシャルを持っているが、急いで盤面に出したいというものではない。
しかしながら一方で、NPHのデザインリーダーとして私は、石鍛冶が存在するがために生体武器にできるはずのことがいつまでも阻まれている、という状態は是とできなかった。初めにも言ったように、石鍛冶は新たなデッキを作るためのカードとして生まれたのであり、カードの可能性を潰すために生まれたのではないのだ。決意して、私は殴打頭蓋を、それが石鍛冶をメタゲームに引っ張り出すであろうと知りつつ、NPHに加えた。それは間違いだった。NPHが出るより前に既に石鍛冶がトーナメントの最前線に立っているだなんて、想像もしなかったのだ。

我々は黒緑剣の力を、とりわけそれが石鍛冶と一緒に使われた場合について、過小評価していた。我々の目論見に反し、殴打頭蓋が世に出るころには、人々はすでに石鍛冶に飽き飽きしていてたのだ。結果として、新しいアーキタイプを作るという目的は全くのご破算となり、我々はトップメタのデッキに更なる後押しをするに終わった。

スニークする手段さえなければ、殴打頭蓋は壊れではなく、単なる“良カード”に過ぎないと、私は強く主張するし、そのためこのカードは禁止を免れた。Caw-bladeは殴打頭蓋が世に出る以前から馬鹿げた実績を残していたし、環境支配をこのカードのせいにするのはお門違いというものだ。ルールを壊す、石鍛冶こそが諸悪の根源である。そして、修繕のような効果は常に危険で、将来のカードデザインに亘って闘争を生み続けるのだと、私は学んだ。あの時このことに気付けていたら、と思わずにいられない。


コメント

麻茶 / asacha
2011年6月21日20:11

流し読みしただけだったので助かるわ~。

>ZENのPWは3人とも弱すぎたんだと薄々感づいてはいた
M12にソリン再録が決まってる中でこの発言ってどうなのよw

ゆうたろ
2011年6月21日23:09

黒はいつだってネタ担当なので。

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